| 享禄3年(1530年) | 毛利元就の次男として生まれる 幼名:少輔次郎 |
| 天文9年(1540年) | 尼子晴久との吉田郡山城の戦いで元服していないにもかかわらず初陣を飾る |
| 天文12年(1543年) | 元春と名乗る 毛利元春 |
| 天文16年(1547年) | 熊谷信直の娘と結婚 |
| 天文16年(1547年) | 吉川興経の養子となる 吉川元春 |
| 天文19年(1550年) |
吉川元春の父、毛利元就が当時の当主吉川興経を強制的に隠居させた後 吉川元春に家督を継がせる 後に吉川氏を乗っ取り吉川元春が吉川家当主となった |
| 弘治元年(1555年) |
厳島の戦いが起こる 吉川元春、小早川隆景が協力し、陶晴賢率いる大内軍を撃滅 |
| 弘治2年(1556年) | 石見に遠征し、尼子軍と何度も戦う |
| 弘治3年(1557年) |
父(毛利元就)が隠居 小早川隆景と共に「毛利の両川」として毛利家を支える中核となる |
| 永禄8年(1565年) | 第二次月山富田城の戦いで武功を上げる |
| 永禄9年(1566年) | 尼子氏を降伏させる |
| 永禄12年(1569年) |
布部山の戦い 尼子家旧臣山中幸盛率いる尼子再興軍と戦う 吉川元春が別働隊を率い本陣を強襲し尼子勢は敗走 |
| 永禄12年(1569年) |
大内氏の残党・大内輝弘が周防に侵攻 吉川元春は、援軍が集っていないうちに大内輝弘を攻めて自害に追い込む |
| 天正5年(1577年) |
織田家家臣・羽柴秀吉率いる遠征軍が侵攻してくる しかし吉川元春はこれを迎撃 |
| 天正6年(1578年) |
尼子勝久や山中幸盛を攻撃し、尼子勝久は降伏し自害 山中幸盛も処刑、尼子軍の完全に打ち破った |
| 天正10年(1582年) |
高松城が羽柴秀吉に攻撃され吉川元春は毛利輝元 小早川隆景と救援に赴くがこう着状態に この戦いの最中に本能寺の変が起こる 羽柴秀吉は本能寺の変を毛利側に隠して和睦 このあと、吉川元春は「秀吉に騙された」を激怒する 秀吉嫌いの原因かも知れません |
| 天正10年(1582年) |
家督を嫡男の吉川元長に譲って隠居 このときの隠居は「秀吉に仕えることが嫌だったから」と、されている この年吉川元春館の建設を始めるが吉川元春の生きている間には完成しなかったとされている |
| 天正13年(1585年) |
四国征伐では吉川軍は元春の息子である吉川元長が総大将として出陣するにとどまる この事件により羽柴秀吉は吉川家に強い圧力を掛けてくるようになる |
| 天正14年(1586年) |
羽柴秀吉の度重なる命令と身内の説得により隠居の身でありながら九州征伐に参加 しかし吉川元春は化膿性炎症をわずらっており 出征先の豊前小倉城二の丸で死去 |
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